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福岡高等裁判所宮崎支部 昭和48年(う)58号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人羽田野尚を懲役三月に、被告人秋満正忠及び同向井定夫をそれぞれ懲役二月に各処する。

被告人三名に対し、この裁判確定の日から一年間右各刑の執行を猶予する。

訴訟費用中原審における証人高柳金光、同山波直和、同三石要助、同三重野睦夫に支給した分及び当審における証人相浜忠孝に支給した分はその全部を被告人羽田野尚の負担とし、原審ならびに当審におけるその余の訴訟費用はその全部を被告人三名の連帯負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、検察官萬玉四郎が提出した控訴趣意書に、これに対する答弁は弁護人小島成一、坂本泰良、今永博彬、吉田孝美、岡村正淳が連名で提出した答弁書に各記載されたとおりであるから、これらをいずれも引用する。

一、公訴事実第一に関する控訴趣意について

1  本件公訴事実のうち第一の要旨は「被告人羽田野は国鉄労働組合大分地方本部書記長であって、昭和四三年三月一日同組合が国鉄南延岡駅を拠点として行った国鉄五万人合理化反対闘争を指導したものであるところ、同日午前八時三〇分ころ、同南延岡駅事務室において、同駅職員が列車の安全運転を祈願して黙祷を行った際、これに反対して同駅々長らに抗議を行おうとしたが、同駅長が相手にせず、駅長室に入ったため、それに続いて同室内に入り、抗議を続けようとしたところ、同所に被告人らの行動を見守っていた同駅助役永岡広光らが居合せたため、同人らを室外に出して入口扉を閉めようとしたが、同人がこれを拒んで右扉を開放したことに立腹し、同室内入口付近において、やにわに、登山靴履きの左足で同人の右脛を一回蹴りつけ、よって同人に対し、加療約三日間を要する右脛骨前面擦過傷の傷害を負わせた」というものである。

2  右公訴事実について、原判決は、被告人羽田野が同日時場所において、駅長室出入口扉の把手を握って立っていた永岡に対し、その前面六〇ないし七〇センチメートル離れた位置から登山靴を履いた左足で一回蹴り上げるようにして同人の右脛前部に同登山靴の先端部を当て、そのため同人に公訴事実記載の傷害を負わせた事実を認めることができ、被告人羽田野の右所為は、一応傷害罪の構成要件に該当するとしながら、右犯行の経緯は同駅の有吉駅長が駅長事務室に神棚を設置し、同駅職員の点呼の際、一斉に黙祷を強制するという信教の自由等を保障する憲法の精神に照らし不当の措置があって、被告人羽田野がその中止方の交渉をしようとした過程で右暴行は行われたものであること、その動機・目的は、被告人らが右交渉を同駅長と富髙首席助役両名との間で静かに時間をかけて行おうとした際、これを妨害しようとした被害者永岡助役の誘発によって行われたものであること及び受傷程度が軽度であることなどに照らすと、いまだ刑事罰をもって対処するに足る違法性を具有するに至らないとして被告人羽田野に対し無罪の言渡をしたのである。

3  これに対し所論は、原判決は証拠の評価を誤った結果、右黙祷や交渉の実態を看過し、かつ本件傷害の態様、程度につき事実を誤認し、また違法性に関し法令の解釈適用を誤ったものであると主張する。

そこで原審記録を調査検討し、当審における事実取調の結果をも合わせ、所論の当否について判断すると、原審及び当審において取調べられた各証拠を総合すれば、以下のような事実を認めることができる。

すなわち(一)まず本件の背景となる事実関係についてみると、日本国有鉄道(以下「国鉄」という)当局は、昭和四〇年から実施していた国鉄財政再建第三次計画の一環として昭和四三年三月以降いわゆる「五万人合理化計画」(ダイヤ改正、新検修体制に伴う配置人員の合理化、国鉄業務の一部民間委託等)を実施すべきことを策定したうえで、同四二年三月ころ国鉄労働組合(以下「国労」という)及び国鉄動力車労働組合(以下「動労」という)等の関係労働組合に右計画を提示して協力方を要請した。これに対し国労側においては、国鉄当局の右合理化計画は職員に労働強化を強いるものであるほか、輸送の安全、旅客へのサービスを低下させるとしてこれに反対し、その頃から国鉄当局との間に団体交渉を開いてその撤回を要求するなどしたが、国鉄当局は国労側の右要求を受け入れることは困難であるとして、団体交渉を打ち切り、右計画のとおり、これを実施することを組合側に伝えた。そこで、国労中央本部は、国鉄当局に対し重ねて右計画の白紙撤回を求め、その実現のためにはストライキも辞さないとして、同年二月末から三月一日の間に全組織をあげていわゆる順法闘争を実施するほか、上部組織の指定する職場においては、当日夜には職場籠城を、翌三月二日にはストライキを行う旨決定した。国労中央本部の右決定に基き、国労大分地方本部(以下「大分地本」という)においては右順法闘争の拠点として南延岡駅を指定した。ところで、南延岡駅が右の拠点として指定されるについては以下のような事情があった。

たまたま昭和三九年ころ同駅の国労所属組合員が国労から脱退し、新国鉄労働組合(以下「新国労」という)に加盟し、すなわち組合が分裂する結果となって、同駅における右各組合の員数は国労四三名に対し、新国労三八名となった。そして同四二年二月有吉冨雄が同駅々長として着任した以降は更に国労組合員が減少し、同四三年二月当時には国労四一名に対し新国労四七名とかわり、国労大分地本はその対策を講ぜざるをえない状況にあった。その折に国労に属する同駅職員から、同駅長が同職員らの反対があるにも拘らず、駅長事務室に設置した神棚に対し黙祷をさせている旨の訴えがあり、これが労使間の労働条件改善、苦情処理に関連する問題であることから同地本は同問題の処理等に適切な機会であるとして同駅を右拠点とすることに決定した。そして、同駅の右順法闘争を現地において指導するため被告人羽田野(当時同地本中央執行委員書記長)は、同年二月二六日被告人秋満(当時同地本同執行委員交渉部長)、被告人向井(当時同地本同執行委員組織部長)及び富田公人(当時同地本同執行委員教宣部長)、牧照義(当時同地本同執行委員青年部長)らを伴って同駅に出向いた。これに対し大分鉄道管理局においても、国労の右闘争に対処するため同駅駅舎二階の運輸長室に現地対策本部を設け、当時の同駅運輸長石黒勝治を同本部長に、又同管理局に勤務する非現業職員八〇名を南延岡地区闘争派遣員(以下「現認要員」という)として同局長がそれぞれ任命し、争議行為の具体的状況の確認、資料の蒐集等にあたらせることとし、警備と保安については鉄道公安職員がこれを分掌することとし、二月二九日同局側は駅前愛宕旅館において、一方国労側も同日駅前前田旅館においてそれぞれ対策、戦術等の協議をなし、国労側は翌三月一日駅長事務室で行われる点呼に、同地本執行委員全員が出向いて黙祷をやめさせる交渉を行うべきことを決定した。以上の背景及び経過があった。

(二)次に被告人羽田野の犯行当日の具体的行動経過をみると、まず同駅々舎駅長事務室の構造は別紙添付図面第一図のとおりであるが、有吉駅長は同四二年六月一二日駅長室で開かれた幹部会において無事故安全祈願のため神棚を設置してはどうかと図ったところ、全員の賛成を得たのでそのころ延岡市内在の春日神社に入魂費一、〇〇〇円を支払って神棚を買い求め、駅長事務室首席助役の机の上、点呼の際のほぼ中央付近の柱にこれを設置しておいた。同年一一月ころたまたま同駅職員鈴木某が構内作業中に怪我したことがあって、そのころ、有吉駅長は当時の安部首席助役と協議したうえで、一日無事故であるよう、気持をひきしめて勤務にあたるため、点呼の際一斉に黙祷することを決定し、そして職員の一部に反対はあったが、特段の拒絶、抗議等の事実もなかったので、そのころからこれを点呼の次第に加えて慣行として行っていた。同年三月一日午前八時二〇分、同日の点呼も定例どおり駅長事務室で行われたが、同室には有吉駅長のほか職制側より富髙首席助役、相浜、内村、日吉、永岡各助役、一般職員約二〇名が整列し、現認要員三重野睦夫、同牧和男らも出席し、被告人羽田野、同向井及び富田公人、牧照義ら国労中央執行委員の立会うなかで、当日の当務駅長を務める相浜助役の「点呼整列」の司会で始り、「服装の整斉」、「勤務割の指定」の後、「正面を向いて」の号令で全員が神棚に向い「決められたことは必ず実行します」と唱和したあと、「黙祷」「なおれ」の号令に合わせて約三〇秒間黙祷を行い、その後全員で時計を合わせ、最後に、当日は特に「局報に労働組合の闘争は違法であるということが載っているので伝えておく」と伝達して点呼が終了した。ところで、右点呼の際同所に在室していた被告人向井及び前記富田、牧らは相浜助役から点呼だから退室するよう求められてもこれに従おうとせず、右黙祷の号令があった際には後に入室した被告人羽田野が「黙祷反対」と大声で怒鳴り、点呼が終って有吉駅長が駅長室に入室したところ、被告人らはなおも抗議を続け、駅長との交渉を通じてその中止の確認を得ようと考え、同駅長の承諾なく、無断で被告人羽田野ほか二名の大分地本執行委員が入室した。被告人らの入室と前後して同駅長室には、富髙首席助役、日吉、内村、永岡各助役のほかに数名の現認要員も入室したが、同所において被告人羽田野、右富田が駅長に対し交々黙祷の強制が憲法に違反する不当の行為であるから直ちに中止すべきであることを訴えたが、駅長は「みんなで話合ってやっているんだからあなた達と話しあう必要はない。職場委員会で決定したことであるから中止するつもりはない」と答えて、これにとりあわず、交渉に応ずる態度を示さなかった。そして富髙首席助役が「こんなことをここで話さんでもいいじゃないか」と忠告すると、右富田が「駅長と話をつけるんだ。あんたは黙っておれ」と応答するなどのこともあって交渉へ進展する気配がなかった。そこで被告人羽田野は同問題に対する従前の経過、当日の駅長室の雰囲気から右交渉目的の達成のためには時間をかけ、静かに話しあう必要がある、そのためには互いに交渉相手を限定し、被告人ら三名に対し駅長側は富髙首席助役と二名で足りると一方的に判断し、在室していた他の助役、現認要員らに退室を求めた。しかしながら穏やかでない同所の雰囲気を察し、任意に退室する者がいなかったので、被告人羽田野は駅長机の左側に立っていた日吉、内村両助役に対し「お前たちふたりはここに居る必要はない、出ろ」といいながら両名の肩付近を押して入口ドアから外に出し、入口ドア近くに立っていた現認要員三重野に対しても、同人の左手の肘を持って入口ドアの方に押し出したが、同人はなおも入口の柱を右手で支えて踏みとどまり、又駅長より特命を受けて駅長室にあって駅長、首席助役の護衛、違法行為の現認等の業務に携っていた永岡助役は、被告人羽田野から両手で押されて入口ドアまで来た後もドアを背にして立ちはだかり退室を拒んでいたが、被告人羽田野がドアを開いて外に押し出してドアを閉めたため、いったん外に出た後、再びドアを開けて入室もしくは室内の状況を現認しようとしたところ、被告人羽田野がこれを閉める、永岡助役はこれを開けるということが数回繰り返えされて、これに立腹した被告人羽田野はいきなり登山靴履きの左足で約六〇ないし七〇センチメートル離れていた永岡助役の右脛を無言のまま一回蹴りつけた。これに対し永岡助役は「蹴らんでいいじゃないか」と抗議した。被告人の右暴行の結果、永岡助役は公訴事実第一記載の傷害を負ったが、その患部はまわりが青く腫れ、制服下のネルズボン下にも血が付いている状態であったため、診療所に赴いて赤チンキの塗付を受けたが痛みは四、五日続き、受傷後一三日目における患部撮影写真にも黒ずんだ痕が認められる程度の受傷であった。被告人羽田野は右暴行の直後駅長室から出て行った。以上のような事実が明らかに認められる。

原判決は右永岡助役の受傷について、これが被告人の不法な有形力の行使に伴う傷害であり、一応刑法所定の傷害罪の構成要件を充足するものであると判示しながら、その動機、目的、行為の態様ならびに永岡助役の被害の程度等にかんがみ右は可罰的違法性を欠くというのである。そこで叙上の事実関係に徴し、可罰的違法性の有無について検討する。

4  まず原判決は、前記判示の黙祷は神道上の神に祈願する行為にほかならないから、特定の宗教上の行為に参加することを同職員に強制した有吉駅長の所為は信教の自由を保障する憲法の精神に照らし不当の措置である旨判示する。なるほど憲法二〇条一項は信教の自由を何人に対してもこれを保障することを、同二項は何人も宗教上の行為、祝典、儀式または行事に参加することを強制されないことを規定しており、信教の自由が基本的人権のひとつとして極めて重要なものであることはいうまでもない。そして右の宗教上の行為の概念は極めて広く、特定の宗教の布教、教化、宣伝を目的とする行為のほか、祈祷、礼拝、儀式、祝典、行事等なんらかの宗教的信仰を外部的に表現する一切の行為を指すものであることは否定できないが、他方当該行為が、外形上宗教的行為又は宗教的活動とみられる場合であっても、それが宗教的信仰と関連を有しない行為である場合は、これを宗教的行為もしくは宗教的活動ということはできない。本件神棚は前段判示の経緯があって、特定の神社の入魂をすませたうえでこれを設置し、点呼の際全員が号令のもとで一斉に黙祷したということであるから公法人である国鉄の施設内において、勤務時間中に組織体としてこれを行ったということで、その方法、強要する態様の如何によっては憲法上の問題となり得ることは否定できない。しかし、証拠に徴すると本件の場合、まず黙祷を行うか否かは各自の意思にまかせていたもので、本件当日の点呼の際も国労所属組合員は黙祷しなかったこと、その設置目的は抽象的な交通安全の祈願であり、職員各自が、一日無事故であるよう心を冷静にして反省する単なる黙祷であること、これを行わないことで当該職員が不利益処分を受けたという事実もないこと、そして有吉駅長もしくは他の監督者の誰からも右神棚の宗教が何であるかを限定し、その布教、教化、宣伝をしたというものでも又神仏への礼拝であることを理由に祈祷の様式を強制したというものでもなく、いわゆる地鎮祭におけるように専門の宗教家である神職の行った祭祀でも更に特定の祭式に則った儀式というものでもない。なるほど、黙祷が個人によっては「祈る」という行為形式をとるものであっても、通常黙祷は特定の対象や内容について限定するものでなく、無言のまま心の中で祈祷するということにとどまるものであるから、右の如き宗教的意義の程度や、右形式にとどまる本件の行為は交通の安全を願う国民的感情からも是認されるものというべく、そして外形的には宗教的行為とみられるであろうけれども、内実は慣行化された同駅内部の組織上の問題の域を出ないということができるから、これをもって宗教的行為であると判断し、有吉駅長の所為を不当の措置と非難するのは失当である。

5  そして原判決は、前段判旨の有吉駅長による神棚の設置と黙祷の措置に対し、これを中止させるべく交渉の申入れをなした被告人に対する同駅長ならびに永岡の各態度を指摘し、本件所為は永岡の誘発行為である旨判示する。ところで右神棚に対する黙祷問題はその数か月以前から国労所属の同駅組合員と同駅長との間にその中止要求をめぐってすでに紛争があった問題であったが、前段判示のいわゆる順法闘争に直接関係ある事項ではなく、又特に被告人ら大分地本執行委員もしくは同組合の下部組織である南延岡駅分会の組合員より、同日、同問題について交渉すべきことの申入れがなされていたわけでもない。そしてかりに被告人らが労使間の問題についての特定の事項の団体交渉を申入れる場合は、それがいわゆる現場長交渉であっても国鉄当局と同組合との間に制定された「団体交渉に関する協約」(昭和四一年一二月一日制定、同四二年一二月一日改訂)に基きあらかじめ交渉事項を示し双方の交渉要員の数を定めて、そのうえでこれにのぞむべきであるのに、被告人羽田野ほか前記執行委員ら五名はあえてこれを無視し、前段判示の如く、いまだ同問題については双方に解釈・立場上の相違があるのに、これに対し独自の見解のもとに違法、不当と断じて点呼を妨害し、そのうえ無断で駅長室に入室し、「何で黙祷をやるか、黙祷は憲法違反だから直ちに中止せよ」と抗議したというものである。民主々義を基調とする憲法体制のもとでは、その権利はあくまでも平和的、民主的、理性的かつ秩序ある方法で行使すべきであって、法秩序を無視し、実力行動に訴えてまで、自己の主張を貫くことは許されず、組合活動においても右制約の下にあるものといわなければならない。原判決は、有吉駅長が右交渉に応ずるか否かについて態度を明確にしなかったことを非難するけれども、原判決も判示するように騒然とした右雰囲気のなかで、被告人羽田野が右抗議目的で入室したうえ、一方的に交渉相手を限定し、他の者の在室を実力をもって排除するという状況下で同駅長にのみ冷静な交渉態度を要求することは酷に失する。

なお又永岡はかねて駅長特命により、駅長室における駅長及び富髙首席助役の警護、組合員らによる違法行為の現認等の任にあたっていたものであるから、前記のとおり点呼に続く駅長室における被告人羽田野ら前記執行委員らの言動を現認していた永岡にとってその職責上出入口の扉を開放しておき、その場の成りゆきを見守ろうとすることは明らかに適法な職務行為と解される。従ってこれを妨げようとして前記判示暴行に及んだ被告人羽田野の所為は、仮に前記黙祷行為に憲法上の疑義があるとしても、正当なものとはいえず、社会的に許容される限度を越えているものであり、永岡助役の受傷の程度も軽度とはいえ、可罰的程度の違法性を有しないものとすることはできない。右所為につき傷害罪の成立になんら欠けるところはない。

6  以上検討したとおり、原判決は、公訴事実第一について事実を誤認したか法令の解釈適用を誤ったものであり、その誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかである。論旨は理由がある。

二、公訴事実第二の一に関する控訴趣意について

1  本件公訴事実のうち第二の一の要旨は「被告人羽田野、同秋満、同向井は昭和四三年三月一日午後五時二五分ころ、前記南延岡駅々前広場において、宮崎県北部地区労働組合評議会(以下「県北労評」という)主催のもとに傘下労働組合員ら約二五〇名が参加して前記国鉄合理化反対闘争支援集会が行われた際、同駅々長有吉冨雄において、右集会を行うについて国鉄構内である駅前広場の使用を承認していなかったうえ、右集会を開催することは同駅乗降客などの通行の妨害になるものと認め、集会参加者に退去を求めるため、同駅待合室入口付近から携帯メガホンを用いて右集会参加者に退去方を呼びかけようとしたところ、それを妨害するため、付近に居合わせた国労組合員約一五名と共謀のうえ、同駅長の前に立塞がり、「集会をさせないつもりか、」、「少しぐらいやらせろ」などと怒号しながら、同人が口にあてていた携帯メガホンを数回にわたって交互に手で払いのけ、更に同人の腕や肩を突いたうえ、同人を取り囲んでその身体を肩や腕で押すなどの暴行を加えながら、同所から約一〇メートル離れた同駅一番改札口付近まで押し出して同人の前記職務の遂行を不能ならしめ、もって同人の職務の執行を妨害した」というものである。

2  右公訴事実について、原判決は、被告人ら三名が暴行々為に及んだことを具体的かつ詳細に述べている有吉冨雄、富髙嘉人、永岡広光、次森辰雄の各供述は、各被告人らの供述に照らし、又それが区々に別れていることから信用し難いこと、被告人ら三名が有吉駅長の携帯マイクを下方に押し下げこれを数回繰り返えした点及び被告人ら三名が駅長の胸部付近を押しつけた点の各所為はその手段、態様において同駅長に対する説得・抗議に随伴してなされた比較的程度の軽いものであること、駅前広場における集会は通行上の支障が現実には殆どなく、従って同駅長が、事前の予告、警告なしに直接マイクを使用して退去通告をなしたことは不当であること等から、かかる諸般の情況を考慮すると、被告人らの同駅長に対する有形力の行使に不法性はなく、従って公務執行妨害罪の構成要件としての暴行に該当しないことになり、被告人らに右の罪責を負わすべきいわれはない、というのである。

3  これに対し所論は、原判決は証拠の評価、取捨選択を誤り、本来認定されるべき事実より縮少された事実を認定したもので、ひいては法令の解釈適用を誤ったものである旨主張する。

そこで原審記録を調査検討し、当審における事実取調の結果をも合わせ、所論の当否について判断すると、原審及び当審において取調べられた各証拠を総合すると、以下のような事実を認めることができる。

すなわち(一)国労大分地本の下部組織である国労南延岡駅支部等を加盟団体とする県北労評は、昭和四三年二月二九日に、前記南延岡駅を拠点とする国労等の順法闘争を支援するため、翌三月一日午後五時より同駅々前広場において「五万人合理化粉砕、国労、動労支援総決起集会」を開催することを決定したこと、そして当日は午後五時前ころから右集会参加者らが同駅前広場の北側部分(別紙添付図面第二図参照)に各組織の組合旗、赤旗等を立てて参集し、同集会は定刻より遅れて、午後五時一五分ころから国労組合員約五〇名、動労組合員約五〇名、支援団体組合員約一〇〇名合計約二〇〇名が参加して開会されたこと(二)右集会開催にあたっては主催者側から国鉄当局側に対する事前の使用許可届出、連絡等いずれもなされていなかった。そこで有吉駅長は同午後五時一五分ころ、右集会参加者の集合状況を目撃して、同時間帯が通勤、通学の時間帯にかち合って列車の乗降客が多く駅構内外が混雑することが予想されたので、そのことを前記石黒対策本部長に諮ったところ、先ず、代表者の名前を確認して注意してはどうかということで、同駅長は早速代表者に通告して退去してもらうべく富髙首席助役と永岡助役を右集会中の組合員らのもとに行かせたが、両助役は「何しに来たか、帰えれ、帰えれ」と抗議され、もみくちゃにされ、代表者の名前を教えてもらえなかったといって戻って来たこと、そこで同駅長は再度石黒対策本部長に意見を求めたうえで、駅前広場において同時間帯に右集会を許すことになれば一時的にもせよ、旅客一般の公衆の通行の妨害になり、国鉄の業務の正常な運営を阻害すると判断し、そして右集会員数の状況、同日午後の列車入替え作業中に、被告人らを含む約三〇名の組合員らが線路に立入っているのを見て、駅長が鉄道営業法三七条に違反するとして再三マイクを通じて退去通告したが、組合員らはこれを聞き入れなかったこと及び同日駅構内に組合旗が立てられていたのでこれを撤去するよう再三通告したが、無視され又組合員らが管理者の制止警告を無視して列車にビラを貼ったこと等の事情があったので、右集会中の組合員らを退去させるためには相当の方法をとるべく、有吉駅長は制服、制帽のうえ石黒対策本部長より手渡された事故復旧用携帯マイクを持って、右両助役を随行せしめ、同駅正面玄関口のところへ出向いて、三人は駅長を中央に広場を向いて富髙首席助役が左側に、永岡助役が右側うしろに立ったこと(三)同日午後五時二五分ころにはすでに参加者約二〇〇名が参集していて、駅前広場中央北側寄りに設けられた円形の貯水槽と北側の花壇との間において、その南側の正面玄関口寄りに被告人三名を含む国労の組合員約五〇名が、北側端に動労の組合員約五〇名が、その間に県北労評傘下各労組の組合員がそれぞれ整列していて、集会は主催者代表挨拶、来賓代表挨拶の順に進められていたこと、(四)有吉駅長が同所へ出向いたときは来賓代表の挨拶中だったので、しばらく待機していたが、来賓代表の挨拶が終ったところで有吉駅長が右マイクを両手で持って口にあて、「駅前集会中のみなさんにお願いします」と云い終らないうち、被告人向井が、急ぎ足でやってきて「何するのか」、「少しくらい、いいじゃないか」と有吉駅長に抗議し、これに対し同駅長は「いやこんなにいっぱい、いたらいけない」と応答し、ひき続き放送を繰り返えそうとしたので被告人向井は右手で同マイクを払いのけた。そのため同マイクは有吉駅長の膝付近まで押しさげられた。そこで同駅長は再びこれを持ち上げると、再び押し下げられるという状態を繰り返えしているところへ被告人秋満も加わり、被告人向井と同様マイクを押しさげる行為を続けていた。そこへ被告人羽田野も右集会での挨拶を済ませて同所へやってくるや、大きな声で「まだぐずぐずしているのか」と怒鳴りながら右被告人両名に加って、被告人羽田野が有吉駅長の正面に、被告人秋満が左側に、被告人向井が右側前方にそれぞれ約五〇センチメートルの距離に立ってこもごも右マイクを引きおろす行為を繰り返えしていた。そうするうち被告人向井が有吉駅長の胸の付近を突いたので同駅長はうしろ向きによろめきながら倒れようとし、以後は続けざまに被告人三名が腕附近で同駅長を背後から押す恰好となって改札口の方へ進み、そこへ右集会参加の組合員約二〇名も加わり、被告人らが先頭の一団となって、同所から約一〇メートル離れた同駅一番ホーム改札口付近まで押し出して、結局同駅長の右集会参加者らへの退去要求の告知を不能ならしめたこと、以上のような事実が明らかに認められるのである。

4  原判決は、右有吉、富髙、永岡、次森各証人の供述を措信できないと判示するが、右各証人の目撃位置が近距離であること、供述内容が詳細で如実的である点で、又右各証人の供述間に若干の供述の不一致があるとはいえ大綱において各証言は一致しており、殊に被告人三名が共同して行ったマイクをひきおろす行為、有吉駅長を背後から押す恰好で改札口方向へ進んだ行為及び多数組合員が被告人らの背後から合流した以後は一団となって同駅長を押して行った行為等についての供述には極端な供述の差異はない。そして一般に特定の事実についての供述が複数にわたる場合、その目撃位置や時間の差異からそれぞれが特殊性を持つのはむしろ当然のことで、主尋問や反対尋問における質問の態様、追求の仕方いかんでは証人がおぼろげなことを強調したり、記憶を十分表現できないこともあり、又時間的経過が記憶に影響を及ぼすこともあるから、その供述間にニュアンスの違いや、あいまいさ、疑問や矛盾があるからといって、その枝葉末節にこだわって各供述間の基本的部分まで排斥することは相当でない。手で押す、胸で押す、当初同駅長を押したのが被告人羽田野であったか、被告人向井であったかという如きは、その目撃位置の相違や、流動する多人数の犯行である点で、特に証言に信用性を減殺する程の意味があると考えるべき内容のものではない。

従って原判決が右を理由に右各証人の証言を排斥したのは証拠の評価を誤ったものといわなければならない。

5  次に有吉駅長が携帯マイクを用いて駅前広場における集会参加者に退去を求めるべく通告をしようとした措置について考えるに、およそ駅長は駅の業務全般の管理及び運営にあたる(営業関係職員の職制及び服務の基準(昭和三八年八月一七日総裁達三六三号))もので、勿論右管理及び運営の業務のなかに駅構内の警戒及び取締を含むことは当然で、そして右の駅構内の範囲には駅前広場を含むものとされており(日本国有鉄道組織規程の解釈その他について昭和二七年八月二六日副総裁依命通達)、日本国有鉄道の財産を直接使用している駅長はその保守に必要な管理権を行使し、その権原を根拠として場所の使用を制限し、駅利用者の便を妨げるおそれがあるような場合はむしろ進んでその妨害を排除する等適正にその管理権を行使すべきであり、右権原を根拠に場所の使用を拒否したとしても、この場合集会の自由の制限とは別個の問題と考えるべきである。

なお原判決は右集会による駅前広場の交通の具体的妨害はなかった旨判示するけれども、同時間帯には三本の通勤、通学に利用される列車(同駅一七時三〇分着九四二便、一七時三二分着八三三便、一七時三一分着五四七便)があって平常二五〇名程度の乗降客で混雑するというのであり、又右集会中車が貯水槽の北側からは入れず南側から入って客を降したうえで後退して出ていくという状態であったというのであるから、右集会参加者と旅客、一般利用者との間に衝突等具体的な結果が生じていなかったとはいえ、同時間帯が相当混雑することが予想される場合であり、通常北側から入り南側に出る車両に一時的にもせよ不便を生じさせていたことは明らかである。従って右集会は社会的に相当として許容される手段、方法の範囲を逸脱していたものといわざるをえないし、有吉駅長がこれに対し退去を命じた行為は、携帯マイクを利用する場合であっても、なんら不当の措置ということはできない。

6  そうすると右認定事実から、被告人ら三名は前記日時、場所において有吉駅長が携帯マイクを持って同集会参加者に対し放送しようとしている所為が同集会を妨害、阻止せんとする意図のものであるとの判断に基き、これに憤慨して右放送を妨げる目的で、当初被告人三名が暗黙に意思を通じ交々同駅長のマイクを手で払いのけ下に押し下げる行為を繰り返えし、被告人向井が有吉駅長の胸付近を突き、倒れようとして後向きになった同駅長を被告人三名が胸付近で背後から押し、これを見ていた右集会参加の組合員約一五名もこれに加って、同駅長に多少の有形力行使を加えても同所から退散させるべき共同意思を暗黙のうちに相互に形成したうえ、被告人三名が集団の先頭となって同駅長の背中を押しながら約一〇メートル後方の同駅一番ホーム改札口まで押し出して、結局同駅長の右集会参加者らへの退去要求告知を不能ならしめた事実を認めることができ、その所為が公務執行妨害罪にあたることは明らかである。

前示証人有吉、同富髙、同永岡、同次森らの証言や関係各証拠を過小に評価したうえ、有吉駅長の前記行為が当を得ないものであり、これに対する被告人ら三名の本件行為は、その手段及び態様において説得、抗議の行動に随伴してなされた比較的程度の軽いものであるから、公務執行妨害罪の構成要件に該当しないとした原判決の判断は失当といわざるを得ない。

7  以上検討したとおり、原判決は、公訴事実第二の一について証拠の評価判断を誤り、事実を誤認したものであって、その結果有罪とすべき被告人に対し、罪責を負わすべき理由がないと判示したものであるから、結局において事実を誤認し、ひいては法令の適用を誤ったものである。論旨は理由がある。

三  公訴事実第二の二に関する控訴趣意について

1  本件公訴事実のうち第二の二の要旨は「被告人ら三名は昭和四三年三月一日午後五時三〇分ころ、前記南延岡駅一番ホーム改札口付近において、大分鉄道管理局長の業務命令により、前記労働組合員らの闘争に際し、同駅に派遣され、同労働組合員らによる違法行為の確認、資料の収集などの任務にあたっていた同管理局営業部総務課公安係藤元正規が前記第二、一記載の状況を写真撮影したことに憤慨し、同人の前記任務を妨害するため、同組合員ら約一五名と共謀のうえ、「写真を撮ったな」と怒号しながら逃げる同人を追いかけ、同人が同駅舎二階運輸長室に通ずる階段を上って避難しようとしたところ、被告人秋満が同人の右袖を掴んでホーム上にひきずりおろし、続いて被告人羽田野、同向井において、それぞれ同人の襟首を掴んで引きずり回したうえ、被告人三名において、同人の身体に掴みかかり、右組合員約一五名がそのまわりを取り囲んでこもごも体当りするなどの暴行を加えながら同所から約一七メートル離れた貨物上屋付近まで連れ込み、同人を右上屋の板壁に押しつけるなどの暴行を加えて同人の前記任務の遂行を不能ならしめ、同人の職務の執行を妨害した」というものである。

2  右公訴事実について、原判決は、被告人秋満は右藤元の写真撮影行為を発見したので、同人にこれを抗議し、フィルムを提出させようと考え、同人に詰め寄ったところ、同人がその場から逃げ出したので、被告人秋満がこれを追いかけ、同駅々舎二階の運輸長室へ至る階段口付近で追いつき、同人の右腕を掴んで階段下のホームに引き降ろし、同所において被告人三名が国労組合員一〇数名と互いに意思相通じたうえ全員で藤元を取囲みながらこもごも激しく責め立て、同所から北方または西方へ約一七メートル離れた貨物保管庫の南側まで徐々に移動し、被告人三名が右国労組合員ら一〇数名とともに同保管庫南側の板壁にもたれさせて左右前面を塞いだことが認められ、右が藤元に対する有形力の行使にあたることは明白であるとしながら、被告人らが本件所為に至る過程には、前記集会を有吉駅長が携帯マイクを用いて阻止しようとしたことに対し、被告人らが抗議すべく国労組合員一〇数名とともに同駅長を駅構内へ押し戻し、改札口から一番ホームへ入構した直後に藤元が本件写真撮影をしたということがあって、これを違法不当の行為であるとして抗議し、同フィルムを差出させる必要があると考えた被告人らが本件所為に及んだもので、右当時の四囲の状況の特殊性及び藤元が無断で被告人らに向けて撮影した本件撮影行為は一般的に許容される限度を越えた個人の肖像権を侵害する違法なものというべきで、被害者である被告人秋満の右フィルムを差出させるために行った本件所為は正当であり、その態様及び程度においても右目的行動の範囲を逸脱したものとも認められないから、右行為は公務執行妨害罪における暴行に該当せず、被告人らに罪責を負わすべきものではないというのである。

3  これに対し所論は、原判決は、被告人らが多数組合員らと共同して藤元に対し加えた暴行の所為について証拠の評価を誤り、本来認定されるべき事実より縮少された事実を認定したものであり、藤元の職務行為として行った写真撮影行為を違法と断じ、被告人らの本件所為が未だ刑法所定の暴行に該当しないと認定したのは証拠に対する評価、取捨選択を誤った結果事実を誤認し、ひいては法令の解釈適用を誤ったものであるというのである。

4  原判決が認定したところによると、事実関係の概要は次のとおりである。すなわち昭和四三年三月一日大分鉄道管理局長の業務命令(日本国有鉄道組織規程八二条、昭和三二年一〇月四日総裁達第五六九号、昭和三七年八月一七日総裁達第三六三号)により現認要員として南延岡駅へ派遣されていた同管理局営業部総務課公安係職員藤元正規は、現地対策本部長石黒藤治(当時南延岡駅運輸長)から写真班員として国労組合員らによる前記闘争の具体的行為の情況等について写真撮影をなすべきことを指示されていたので、当日午後五時二五分ころから、同駅正面玄関口から前記集会参加者らに退去通告しようとしていた有吉駅長の斜め後方にあたる同駅待合室において、右任務を全うすべく写真機一台を携えて待機し、同所から被告人らの行動を見守っていたところ、前記のとおり被告人らを先頭にした組合員ら約二〇名の集団によって同駅長が第一改札口の方向へ押し戻されるような状態となったので、これを目撃した同人はその情況を撮影しようと考え、急いで右待合室を出て改札口を通り抜けて一番ホーム内に入構し、駅長事務室出入口付近において、右改札口に向い前記所携の写真機を構えながら待機するうち、同駅長が、前記組合員らによって同駅構内へ追い込まれるような恰好で、右改札口を通り抜けて一番ホームへ出た直後、やや戸惑いながら約八メートルの地点に立止ったので、その機を捉えて同駅長の背後に続く被告人ら右集団の状況を撮影した。そのとき右藤元の写真撮影行為に気づいた被告人秋満は即座に右写真撮影を違法不当な所為であると考え、これに抗議するとともに、場合によってはそのフィルムを差出させる必要があると思い立ち、同人に対し矢庭に「お前なんで写真を撮るのか」と怒鳴りながら詰め寄ったところ、同人がこれを避けてその場から逃げ出し、約一三メートル先階段口から二階運輸長室へ逃げようとしたので、同人を右階段口まで追跡したものである。

5  ところで、個人の私生活の自由のひとつとして、何人もその承諾なしにみだりにその容ぼう、姿態を撮影されない自由を有することはもちろんである。これを原判決の判示する肖像権と称するか否かは別として、少くとも警察官の場合であれ、一般私人の場合であれ、正当な理由もなく個人の容ぼう等を撮影することは許されない。しかしながら個人の有する右自由もいかなる場合にもこれが保護されるというものではなく、他の法益を保護するため必要のある場合には合理的な範囲で相当の制限を受けることがあるといわなければならない。そこで右許容される限度について考えると、次のような場合すなわち現に犯罪が行われ、もしくは行われた後間がないと認められる場合や、写真撮影の目的が正当な労務対策のための証拠保全等の必要性及び緊急性があって、かつその撮影が一般的に許容される限度を越えない相当な方法をもって行われる場合は違法かつ、不当とはいえずこれが許容されるものと解すべきである。

6  これを本件についてみると、(一)藤元は当局の現地対策本部の一員であって、当日は現認要員として写真班に所属し、組合員らによる前記闘争の具体的行為の情況を現認採証、写真撮影する任にあたっていたものであるところ、同人は有吉駅長が前記の如く集会中の組合員らに対し退去通告しようとした際、被告人らを先頭にした組合員らによってこれを阻止され、同駅正面口から第一改札口を経てホームへ押し戻された状況を現認したことは前段判示のとおりで、(二)なお原審証人藤元正規(原審第一〇回、第一一回公判廷)、同小路口希人(原審第一四回公判廷)、同石黒勝治(原審第一五回公判廷)、同次森辰雄(原審第一七回公判廷)、同佐々木重清(原審第一八回公判廷)らの各供述を総合すると、藤元は被告人らが先頭になった組合員ら約二〇名の集団により、駅長がホームへ押し出される状況を現認して、その状況を一枚撮影したところ、付近にいた被告人秋満が「お前写真を撮るのか」と怒鳴りながら近づいて来たので藤元は同所から走って逃げたこと、これを追いかけ前判示階段三段目付近で追いついた被告人秋満は藤元の右腕を両手で掴まえてホームへ引き降ろしたところへ被告人羽田野、同向井及び右組合員ら集団も同所へやってくるや、全員で藤本を取囲み、被告人秋満が藤元の右手を両手で握ったままの状態で被告人羽田野がうしろから藤元の襟首を握り、被告人向井が藤元の着衣の左胸付近を握って「なぜ写真を撮ったのか」と文句をいいながら五、六回ゆすぶったこと、藤元はこれをふり離して逃げようともがいたができなかったこと、そうするうち藤元は右集団の者に蹴られたり、突かれたり、押されたり、カメラを引張られたりしながら原判示倉庫前に来て同所板壁に一回押しつけられたことが認められる、右に対し原判決は右趣旨に副う原審証人藤元の供述部分は、同証人小路口、同次森、同佐々木の供述中に、これに符合するところがないことを挙げて措信し難いと判示するが、右各証人の供述を仔細に検討すると右三名ともその目撃位置からは集団に取囲まれている藤元の挙動が十分確認できなかったということから各証言間に若干の差異が生じたというにすぎないもので、集団による囲みの中の藤元に対する具体的攻撃状況を確認し得ない各証人間の供述に差異が生ずるのはむしろ当然であり、右各証人の供述間に証言内容の基本的矛盾があるわけではない。藤元が被告人らを中心とする約二〇名の組合員集団から取囲まれ、暴行を受けていたという証言は大綱においてかわりはないのである。又原審証人竹内征和、同甲斐重信、同秋永貞雄、同木村義則、同末吉忍、同藤本豊久の各供述中には明らかに前記藤元の証言に相反する供述部分があるが右各証言を前記藤元、小路口、次森、佐々木各証人の証言と対比してみるとき後者がその内容において具体的かつ極めて自然であり、前後一貫してなんらの矛盾も発見できないうえ被害者である右藤元の証言とも一致することに徴すれば、前者はその信憑性において遙かに劣るものがあるというべく、当審における証人佐藤信行、同河野定美、同入田幸寿、同上村芳香、同木村義則、同酒井辰信の供述によるも前記各証人の証言が補強されるものとも認め難いから、前記各証人の証言は採用できない。

7  前記認定事実からすれば、前記藤元はその現認した情況から、被告人ら及び右集団が同駅長に対し暴行もしくは公務執行妨害の行為を現に行っているものと主観的に判断し、証拠保全の意図でこれを撮影したことが認められ、その判断は社会通念上相当というべきもので、証拠保全の必要性、緊急性も否定できず、八メートル離れた地点からの右写真機による撮影行為は一般に許容される範囲内の相当の行為であり、同人が前記業務命令に従った適法な職務執行々為というべきであるから、右が被告人ら及び右集団の者らの同意もなくその意思に反していたとしてもこれをもってその肖橡権を侵害した違法なものということはできない。従って右藤元の写真撮影行為に抗議してなした被告人ら及び右集団の者らの前記判示にかゝる共同暴行の行為が右藤元に対する公務執行妨害罪にあたることは明らかである。この点に関する原判決の判断は失当であるといわなければならない。

8  以上検討したとおり、原判決は、公訴事実第二の二について証拠の評価判断を誤り事実を誤認し、ひいては法令の適用を誤ったものである。論旨は理由がある。

四  破棄自判

以上の次第であるから、刑訴法三九七条一項、三八二条、三八〇条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書によりさらに自ら判決する。

(被告人らの地位及び本件に至る経過)

被告人羽田野尚は国鉄労働組合大分地方本部書記長、被告人秋満正忠は同交渉部長、被告人向井定夫は同組織部長の各任にあったものであるところ、昭和五三年三月一日被告人ら三名はさきに国鉄当局がいわゆる「五万人合理化計画」を国鉄労働組合に提示したことから国鉄当局と同組合との間にその撤回をめぐって闘争が開始され、上部組織の指示により順法闘争に入った同組合大分地本においては国鉄大分鉄道管理局所属南延岡駅を拠点とすることを定めていたので、その闘争指導、支援のため同駅に赴いた。これに対し大分鉄道管理局においても国労の右闘争に対処するため、同駅駅舎二階の運輸長室に現地対策本部を設け、当時の同駅運輸長を同本部長に、又同管理局勤務非現業職員八〇名を南延岡駅闘争派遣員として同局長がそれぞれ任命して派遣し、同闘争行為の具体的状況の確認、資料収集等にあたらせていた。

(罪となるべき事実)

第一、被告人羽田野は、同日午前八時三〇分ころ同駅事務室において、同駅職員が列車の安全運転、職員各自の無事故祈願のため黙祷を行った際、これに反対して同駅駅長有吉冨雄らに対し抗議を行おうとしたが、同駅長が相手にせず、駅長室に入ったため、それに続いて数名の同組合中央執行委員らと共に同室内に入り、抗議を続けようとしたところ、同所で被告人らの行動を見守っていた同駅助役永岡広光(当三九年)らが居合わせたため、同人らを室外に押し出して入口扉を閉めようとしたが、同人がこれを拒んで右扉を開放したことに立腹し、同室内入口付近において、やにわに登山靴履きの左足で同人の右脛を一回蹴りつけ、よって同人に対し加療約三日間を要する右脛骨前面擦過傷の傷害を負わせ

第二、被告人羽田野、同秋満、同向井は

一、同日午後五時二五分ころ、同駅前広場において、宮崎県北部地区労働組合評議会主催のもとに傘下労働組合員ら約二〇〇名が参加して冒頭記載の反対闘争支援集会が行われた際、同駅有吉駅長において、右集会を行うについて国鉄構内である駅前広場の使用を承認していなかったうえ、右集会を開催することは同駅乗降客などの通行の妨害になるものと認め、集会参加者に退去を要求するため、同駅待合室入口付近から携帯メガホンを用いて右集会参加者に対し退去方を呼びかけようとしたところ、これを妨害するため、付近に居合せた国鉄労働組合員約一五名と共謀のうえ、被告人三名が同駅長の前に立ち塞り、「何するか」、「集会させないつもりか」「少しぐらい、いいじゃないか」などと怒号しながら同人が口にあてた携帯メガホンを数回にわたってこもごも手で払いのけ下に押し下げる行為を繰り返えし、被告人向井が同人の胸の付近を突いてうしろ向きによろめかせる等の暴行を加えたうえ、さらに右組合員ら約一五名と共に被告人らが先頭の一団となって同所から約一〇メートル離れた同駅一番ホーム改札口付近まで同人を押し出して同人の右職務の遂行を不能ならしめ、もって右職務の執行を妨害し

二、同日午後五時三〇分ころ、同駅一番ホーム改札口付近において、国鉄大分鉄道管理局長の業務命令により前記国労組合員らの闘争に際し同駅に派遣され、同組合員らによる違法行為の確認、資料の収集などの任務にあたっていた同局営業部総務課公安係藤元正規(当四四年)が前記第二の一記載の状況を写真撮影したことに憤慨し、同人の前記任務を妨害するため同組合員ら一〇数名と共謀のうえ、被告人秋満が「お前なんで写真を撮るのか」と怒鳴りながら右藤元に詰め寄ったところ、同人がこれを避けてその場から逃げ出し、一三メートル先階段口から二階運輸長室へ逃げようとしたので、被告人秋満はこれを右階段口まで追跡し、同所において同人の右腕を掴まえてホームへひき降ろし、そこへ被告人羽田野、被告人向井及び右組合員ら一〇数名も加って藤元を取り囲み、被告人秋満が藤元の右手を両手で握り、被告人羽田野がうしろから同人の襟首を握り、被告人向井が同人の着衣の左腰付近を握って「なぜ写真を撮ったのか」と文句をいいながら五、六回ゆすぶり、右集団が同背後から蹴る、突く、押すなどしながら同所から約一七メートル離れた貨物保管庫付近まで連れ込み、同所板壁に一回押しつける暴行を加えて同人の前記任務の遂行を不能ならしめ、もって同人の職務の執行を妨害し

たものである。

(証拠の標目)《省略》

(法令の適用)

被告人羽田野の判示第一の所為は、刑法二〇四条、罰金等臨時措置法三条一項一号に、被告人三名の判示第二の一、第二の二の各所為はそれぞれ刑法六〇条、九五条一項に各該当するところ、所定刑中いずれも懲役刑を選択し、以上は同法四五条前段の併合罪であるから同法四七条本文、一〇条により、被告人羽田野については、最も重い判示第一の罪の刑に法定の加重をした刑期範囲内で同被告人を懲役三月に処し、被告人秋満、同向井については、犯情の重い判示第二の二の罪の刑に法定の加重をした刑期範囲内で両名をそれぞれ懲役二月に処し、諸般の情状により被告人全員に対し刑法二五条一項を各適用して、この裁判の確定した日からいずれも一年間右各刑の執行を猶予することとし、原審における訴訟費用中証人高柳金光、同山波直和、同三石要助、同三重野睦夫に支給した分及び当審における証人相浜忠孝に支給した分については刑事訴訟法一八一条一項本文によりその全部を被告人羽田野の負担とし、原審ならびに当審におけるその余の訴訟費用については、同法一八一条一項本文、一八二条によりその全部を被告人三名の連帯負担とする。

よって主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 杉島廣利 裁判官 富永元順 裁判官松信尚章は転任のため署名押印することができない。裁判長裁判官 杉島廣利)

〈以下省略〉

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